生家の売却が決定する...

 昭和時代の生家、年金世代に入って断捨離の最先端地となっている生まれ故郷の家と生誕地。先週、売却が決まりました。
 所謂「古家(昭和40年代前半の築、平屋建て)付き、道路付けの悪い変形扇型の土地(敷地)」の売却です。

生誕の地、生き返ることを夢見て…

 当方の希望売却価格は1千万円を少し下回る額(値引き前)でしたが、足元を見られるのは常の業界ですから、キリの良い数値となりました。不動産を希望額で売却できるなんぞ、滅多にありません。
 購入者は不動産業者とのことです。建て替えして売るのでしょう。見事に生き返ることを夢見て…。本当に楽しみです。

生家の売却が決定-1

周辺の土地開発の波が徐々に浸透...

 生家の回りには、昭和の高度成長時代にアパート3棟ほどが建てられていましたが、令和時代に入ると、これらを取り壊して不動産開発業者の手に拠る「戸建て販売」「単身者向けの賃貸ハイツ開発」が行われていました。

ハチャメチャな変貌を経る(敷地価値の急落)...

 驚いたのは、市町村の指定道路だと思い込んで使用していた生活道路が実は他人様の民有地であったこと。
 このために生家で使用していた駐車場敷地(軽自動車クラス)への出入口が塞がれてしまったり(隣家は更に悲惨で、玄関からの出入が不可)、3方角地で日が良く当たる生家敷地が1方角地に変貌したりと、どえらい結果となった次第です。

市町村による測量の再測定を受ける...

 そうこうしている内に、市町村の職権(費用負担)で道路、敷地周りの「測量の再測定」が行われて、土地有効面積の変更がありました。
 結果、5坪ほど増えたのですが、再建築には道路幅を広げる必要があるという事(計7.5坪)で、差し引きマイナスとなっています。なんじゃ、コリャ。

ここ30年程、老人向け賃貸物件として活用...

 結婚後、数年間を過ごした思い出の地ですが、築年数の古さと㎡数の少なさが今の時代に合わず、某市に転居して今に至ります。
 若い時分は投資家気取りでしたから、転居後に即売却することをせず、賃貸物件として活用していました。
 フルリフォーム後、月額8万5千円の賃料から始まって、最後の5年間は「賃借人の自主的な修理(大家の修理費負担なし)」を条件として、月額4万円まで賃料を引き下げていました。