日本航空123便墜落事故の「デマ本」とは(失礼な!)、彼奴等は何様のつもりなんだ?
週刊新潮は、次のように綴っています。
1985年の日航機墜落は事故ではなく、日本政府による陰謀で自衛隊が関わった“事件”である――。そんな荒唐無稽な主張を書き連ねた書籍が3冊立て続けに「全国学校図書館協議会」選定図書に選ばれていた。同協議会のトップは、天下り問題で処分を受けた“前科”もある文部科学省の元次官、銭谷眞美氏だった。
デマ本とは、なんと失礼な...
- Amazon.co.jp: 日航123便 墜落の新事実: 目撃証言から真相に迫る (河出文庫 あ 34-1) : 青山 透子: 本
- 日航123便墜落 疑惑のはじまり: 天空の星たちへ (河出文庫 あ 34-2) | 青山 透子 |本 | 通販 | Amazon
- Amazon.co.jp: 日航123便墜落 遺物は真相を語る (河出文庫) : 青山 透子: 本
ここで、新潮社が断罪している「デマ本書物」は上記の三冊。以下引用しますが要約です。
4月10日、参議院外交防衛委員会で質問に立った自民党の佐藤正久議員は、ある書籍の内容を要約して読み上げた。
「駿河湾で試験中の護衛艦が対空ミサイル発射訓練をやっており、それを海自出身のJALの機長が海上自衛隊と組んで訓練に協力し、自衛隊の標的機がJAL123便を撃墜してしまった。横田基地への緊急着陸を自衛隊が禁止したばかりではなく、撃墜と墜落の痕跡を隠すためにわざと地点の特定を遅らせ、その間、自衛隊の火炎放射器で墜落現場を焼いて証拠を隠滅した――」
1985年(昭和60年)8月12日、航空機事故では世界最多の520人の命が一瞬で失われた「日本航空123便墜落事故」。昭和の最後を飾るには、余りにも悲しい出来事です。
詳細は、刊行された書籍、WEBページが山ほどあるので『興味を持った方』はそちらを訪れて、御自分で見識を深めて下さい。この書籍を『デマ本』と決めつけるのか、それとも愛読されるのか、それは貴方の探求心と心掛け次第です。ちなみに、私が取り上げる「世界の3大疑惑」とは次の3件。全て昭和時代です。
- ケネディ暗殺
- アポロ月着陸
- 日航123便墜落事故
事故直後から、何かと『疑惑』が囁かれていて...
SNS投稿から引用...
ボイスレコーダーの音声を言い訳して、公開していないからこうなる。今、公開されているものは、つぎはぎで前後の音声すら編集されているもの。重要なところは何一つ残っていない。遺族には聞かせてあげてほしいが、多分、廃棄されていると考えるのが普通。廃棄していないと、誰が持ち出すか分からないからね。ただ、「戦闘機が一緒に飛んでいた事実は消せない」...。
日航機墜落の「デマ本」3冊を学校図書館に推薦、文科省「天下り次官」の無責任(新潮社 フォーサイト)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
参考記事
編集後記
以前住んでいた某市某町...。墜落の記録を辿れば、松下(パナソニック)系企業にお勤めの方々が、出張帰りで亡くなっていたことが判明。キュンと胸がつかえたことがありました。あの当時、プライベートマネーでは東京~大阪間のフライト料は高くて、個人では乗りたくても乗れなかったのです。
(鹿児島県知覧にある「特攻記念館」の絵画です。一度、実物をご覧あれ...)
墜落の余波として...
因みに、隣県の支店では「総務課長」と「製造課長」が東京本社帰りの際、この墜落で亡くなっています。総務課長は将来を嘱望された人望のある課長で、この方が亡くなったことで「社内の人事抗争が勃発」、マスコミリーク等もあって末端から伸し上がった者が主要ポストを占め、嘗ての支店の勢いがなくなりました。
製造課長は某社からの天下りで、亡くなったのは赴任直後と聞き及んでいます。下って来なければ今も存命されているでしょうし、本社へ随行した総務課長も健在だと思います。
大きく人々の人生を狂わせた『日航123便の墜落』です。敢えて、"事故"とは言いません。





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