もう一度、『日航123便墜落と横田基地への緊急着陸』を追ってみて...

 小田周二氏著書の『524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎』(文芸社)に出逢い、アマゾンで同書を買って、この土日で読破しました。『事故調』を鋭く上回る構成で、「最も感」が95%まで高まります。
 中古書籍なら安値で手に入りますし、是非ともお勧めします。まるで、「日本の闇を覗いた」ようです。軍国主義者『中曽根康弘氏』の登場もあって...。彼奴は、故田中角栄氏を追いやった陰の張本人です。

123便は、7秒後に「スコーク77」を発した...

 「スコーク77」は、民間機が何かに要撃対象とされた場合の『緊急コールで、これを発信した民間航空機は、自衛隊機の指示・誘導に従うよう定められています。

 スクランブルをかけた自衛隊機が使用する言葉は次の4つです。
 1.当方に従え
 2.着陸のため降下せよ
 3.この飛行場に着陸せよ
 4.そのまま飛行してよい

 これに対して、要撃された民間機が使用できる言葉は、次の6つです。
 1.了解、指示に従う
 2.指示に従うことはできない
 3.指示を繰り返してください
 4.自機の現在位置がわからない ←リクエストポジション
 5.○○に着陸したい
 6.降下したい

 123便は、衝突音(垂直尾翼の破壊音)のあと、7秒後に「スコーク77の識別コード」を送信しています。スコーク77と自衛隊機の誘導
 では、なぜ(日航)123便が横田(基地)に近づいて来るときの交信(コックピットボイスレコーダー)は公開されていないのだろうか。

横田基地への緊急着陸まで、あと数分...

 極東の一大空軍基地までわずか1分の空域まで迫り来る傷ついた大型旅客機と、基地周辺空域を厳重に管理する米軍管制官との交信記録の不在。この余りに不自然な不在こそが、あぶり出しのように一つの事実を示唆する。123便が横田への着陸態勢に入っていたことを知られたくない者がいるのだ。ここでは記録の「存在」ではなく、あまりにも不自然な「不在」こそが大きな作為の証である。
 123便が横田への着陸態勢に入っていたことを知られたくない者(時の首相は「中曽根氏」)。その者こそが、123便の墜落事件の決定的な鍵を握る。(中略)
524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎 : 小田 周二

 「これはダメかも分からんね」(高濱機長)

 (中略)後に、123便の墜落後、同便が実は横田基地と連絡を取りながら着陸態勢に入っていたことを記録から消し去った者。
 横田基地を目前にした機長と自衛隊機(2機)との間で交わされていた通信を消し去った者。
 そして、横田基地への着陸を阻止するように自衛隊機に命じた者。
 それは、無人標的機衝突という不祥事を隠し通そうと決意した極悪非道な権力者たちだった。
 本書の米軍横田基地に関しての一部記述を掲載しました。横田基地以外でも、この書籍で新たに私なりに判明したことが多々ありました。
 WEBサイトで「日航123便と横田基地」を検索してみると、「123便の航空軌跡」が次々と修正・変更されている事実が浮かび上がります。それも、横田基地から遠ざかる軌跡になっているのです。もはや何が正しいのか、さっぱりと分かりません...。

もう一度、『日航123便墜落と横田基地への緊急着陸』を追ってみて...

もう一度、『日航123便墜落と横田基地への緊急着陸』を追ってみて...3

もう一度、『日航123便墜落と横田基地への緊急着陸』を追ってみて...2
 ところでこの37分から44分の7分間に極端に管制所とJAL123便との交信が減っている理由はなにか。わたくしはそれを緊急発進した軍用機(自衛隊機)との交信、もしくは誘導指示態勢にあった軍用機(自衛隊機)に誘導されるために、その誘導に従っていくために精一杯だったのではないかと推測する。
 つまり37分から44分の間の軍用機(自衛隊機)との交信は、意図的にボイスレコーダーから削除されている可能性がないわけではない。そして46分には相模湖まで戻ってきているのである。そして横田基地着陸進入コースに乗り、横田に着陸態勢にあったのである。
 機内では「予告なしに着陸する場合が・・」とのスチュワーデスのアナウンスがなされていたのである。しかも、横田基地は合計13回、JAL123便にたいして、「横田の管制官にコンタクトを取るように」「横田滑走路は進入スタンバイができている」ことを繰り返し、繰り返しJAL123便に伝えている。
 しかしながらJAL123便便は、この横田管制官の呼び掛けにたいして、まったく応答していないのである。応答できなかったのである。 
 池田昌昭著/文芸社 『御巣鷹山ファイル2/JAL123便は自衛隊が撃墜した』

 池田氏の推測によると、このとき、JAL123便は横田基地に降りる寸前だったことになります。その証拠に横田基地からは13回もJAL123便にコンタクトを取るよう求めているのですが、123便はそれに一切応答していないのです。
 一体何があったのでしょうか。そのとき、JAL123便は、ほぼ完全に横田基地への着陸態勢をとり、何とか着陸できる状態にあったのです。しかし、それを邪魔したのは、浜松基地発進の2機のファントム戦闘機です。
 事故調はこの音声を消すために、ボイスレコーダーの公開を文字でのやり取りにしたのです。音声をカットすると、不自然になってしまうからです。
 池田昌昭氏は、JAL123便と軍用機(自衛隊機)のやり取りを次のように再現しています。例の仮説形式の対話のスタイルです・・・。

軍用機:横田に着陸すると、機体の垂直尾翼が欠けているし、車輪も出ないし、機体はコントロールを失っているので、人家に甚大な被害が発生するから絶対に阻止する。
123:胴体着率できる。
軍用機:横田基地付近には米軍住宅もあり、また普通民家も密集しているので、アメリカとの問題が重大なことになる。
123:もう滑走路が見えているし、横田へのランディング・コースに完全に乗っている。
軍用機:横田への着陸は絶対阻止する。
軍用機:JAL123便は、被要撃信号「スコーク77」を発している。「スコーク77」を発した以上は必然的に要撃機の指示にい従わなければならない。

軍用機:そんなことは、機長が何より良く知っているはずだ。
軍用機:レフトターンするように。 ──池田昌昭著/文芸社
 『御巣鷹山ファイル3/JAL123便は自衛隊が撃墜した』

 垂直尾翼を失って操縦機能のほとんどを失いながらも、123便の高濱機長は、4つのエンジンをコントロールして横田基地への着陸態勢に入ったのです。そして横田基地と交信しようとしたときに、自衛隊のファントム戦闘機2機が突然現れ、スクランブルをかけてきたのです。そのとき、機長としてすべてを悟った高濱機長は、次のようにつぶやいています。時刻は午後6時46分33秒のことです。

 これはもうだめかもわからんね。/JAL123便 高濱機長、午後6時46分33秒

 悲痛な心の叫びです。しかし、高濱機長は本心は、まだ諦めてはいなかったのです。戦闘機の指示にしたがい、機首を御巣鷹山の山岳部の方に向けて、今度はレタス高原への着陸することを考えて、その場所を探したのです。
[日航機123便墜落の真相/035]

参考記事