7/25 株式投資では「億り人」へ届かず。副業が必要(その3)...
編集後記
この章で皆さん方に申しげたいことは、新しいイノベーションが起った時は『いの一番に取り組むべきである』という事です。
取り組むこと・内容が、好き・嫌いのレベルではなく、生きるための必然と捉えることです。特に、若い方であればあるほど積極性が求められます。チャンスは自ら掴むもので、与えて貰えるものではありません。
「PCとはゲーム機器」の認識しか持ち合わせていなかった、当時の私...。
嘗て、関西地盤の上新電機が県庁前に新規オープンした際、入口左側に「パソコンコーナー」を華々しく設置していた記憶があります。マッキントッシュ全盛の頃ですからWIN95発売前の頃です。最新ゲームのデモが行われていて、PC前は若者で人だかりでした。後ろで観ていた私は、そのものズバリ「パソコンとはゲーム機器」との認識を持っていたのです。
手のひらサイズの任天堂ゲーム機器が幅を利かせていた時代ですから、何十万円も支払って何故、パソコンを購入しなきゃならないのか、サッパリ理解できなかった時期でした。
無知な私が、ソフトウェア製作で『資産づくり』の第一歩を果たす...
この章をまとめると、次のようになります。
◇ 勤務する企業の日常業務と自分の能力向上とを結びつけたこと。
◇ 係→課→部→施設へと、システム化の流れが社内で進むように取り計らい、自分自身が中心に位置するよう動いたこと。
◇ WINDOWSシステム、OFFICEソフトウエアを会社経費でマスターした後、インターネット業界へ進出したこと。
◇何故、儲かる「システム製作」から手を引いたのか?
結局「東京在住」が契約条件となって来たからです。やはり、日本の中心は東京都です。請負金額の大きい製作依頼が徐々に減少し始め、『日々出社が条件』『朝・夕のミーティング出席が条件』など、今と違って出社必須になって来たのです。そして、見積金額が少額な依頼は、もはや検討すらしなくなりました(当然だと思いますが...)。
当時、特定宗教集団のシステム請負などが問題となった時期でもあり、部外者排除が強まって、フリーのシステム開発者にとっては受難時代でした。そして、私自身も歳を経たことで、体力・気力的にもう限界だったことが挙げられます。これらのことが背中を押して、私を不動産投資へと向かわせたのです・・・。(お終い)
